人生に残された時間の話

時は金なり画像

最近残りの人生のことをよく考えます

私の年齢は現在37歳です

37年生きてきましたが長かったようにも思いますしあっという間のようにも感じます

特に学生の頃はそこまで1年を早くは感じませんでした

しかし社会人になってからというと本当に時間が経つのが早く感じるようになりました

このペースで進めば残りの人生なんてあとわずかなように感じるのです


残りの人生を考える話

今から80歳まで生きたとしたら残りは43年になります

もうすぐ折り返しに差し掛かろうとしています

1年365日として15,695日

1日24時間で376,680時間

1時間60分で22,600,800分

1分60秒で1,356,048,000秒

数字としての桁は大きいですがあっという間です

1年があっという間に過ぎてしまうようになりましたが

1年は8760時間

分刻みなら525,600分です

43回繰り返したら80歳になっています


これを打ち込んでいる間も刻一刻と残り時間は消費しているのです


80歳で死ぬ可能性はわかりませんが少なくとも80歳を迎えられたとして五体満足とは言い切れないでしょう

腰が曲がっているかもしれませんし膝が痛くなっているかもしれません

そうなれば何をするにしても行動することが億劫になっていくでしょう

金銭面も体力面も含めて考えれば残りの人生はほんのわずかなのです


時間を意識するきっかけの話

早い人はもっと早く気付いているんでしょうが私は35歳前後からようやくこの事実を意識しはじめました

反対に30歳になった頃には年齢に無頓着になっていきました

今何歳だっけ?まぁもう年齢なんて関係ないか

もうおじさんになりかけてるし歳を1つ2つ重ねた所で大したことはないと思っていました


そんな時に祖母が亡くなったのです

前職を退職して実家に帰ってきて再就職をして間もないころでした

祖母とお別れが出来たのは不幸中の幸いだったと思います

誰かを失って死を目の当たりにすることでようやく私の人生の残りの時間を考えることにいきついたのです

もちろん私自身も交通事故など急に亡くなる可能性もあります

いつ死ぬかなんて誰にもわからないのですがこの世に産まれて生きている以上いつかは必ず死ぬのです


いい人生だった

最高の人生だった

もう悔いはない

いつ死んでもかまわない


まだとても言い切れそうにはありません

祖母はもういつ死んでもかまわないとこぼすようになっていました

それが老いに対する弱音だったのか本当に生をまっとうしたと感じていたのか真意はわかりません

体は自由がきかなくなっており片手鍋を持つのも震えていましたが死ぬ間際まで働いていました

何をそこまで頑張る必要があるのだろう

なぜそこまでして弱った体にムチを打ってまで働くのだろうと思っていました

ただ今思えばそんな祖母は今の私よりもずっと人生をまっとうしていたのだと感じます

私にはそこまで人生をかけて打ち込めるようなことはありません

このまま死んでしまえば本当に何もなかった人生になってしまうと少し背筋が凍りました


残りの人生に悔いを残さないための話

このままただだらだらと生きていたのではダメだ

このままただ時間だけが過ぎていってしまうような人生をしていては必ず後悔することになる

答えは見つかっているわけではありません

ただこのままではいけないという焦りだけは感じています


でも祖母のように人生をかけてまで行っていくようなことは何もありません

なので私は今与えられている仕事に少しでも祖母に近づけるよう打ち込んでみたいと思っています

前職で働いていた時は本当に仕事が嫌になっていたのです

ただ実家に戻ってきて決して胸を張って自慢できるような大きな会社ではないけれど新しい環境と新しい職場にやる気だけは取り戻しかけていました


私自身が変わっていかなければこれまでと同じ人生を歩むことになりきっと死の間際に後悔の念でいっぱいになることは明確です

どれほどのことが出来るかなんてわかりません

誰の目にも止まらない人生を歩むのかもしれません

ただせめて私自身が納得して後悔のないような人生を歩みたいのです

残りの人生を悔いを限りなく減らせるよう毎日を意識して過ごしていこうと思っています

その毎日の時間の積み重ねが私という人生になるのですから。